福岡県福岡市。天神といえば、全国的にも有名な繁華街のひとつで、食通たちが各地から通いつめるという食の聖地。そんな激戦区・天神で45年もの長い間、コアな常連たちに愛されてきた知る人ぞ知る名店。それが老舗定食屋「正福」です。そして入り口に掛けられた暖簾は、板前にして店主である田口様と、この「正福」というお店をずっと見守り続けてきた歴史そのものであり、田口様が「絶対に守る」と決めていた宝物でもありました。そんな大切な暖簾を、どのように守り、育て、他の誰かに譲ると決めたのか。その苦悩や葛藤、そして今後のご展望をお伺いしてきました。
皿洗いをしながら板前の背中を見て学び、「正福」を福岡天神の愛される定食屋へ
生まれは久留米、育ちは横浜、学生時代を北海道で過ごした田口様が、再び生まれ故郷である福岡県に戻ってきたのは大学卒業後。自分で選んだはずの建築学科が“向いていない”とわかった途端、興味はもっぱら飲食店のアルバイトに向いてしまい、学校の授業よりも放課後の予定の方が気になるほどだったそうです。コーヒーを淹れるのが大好きで、大学祭で出した喫茶店では「こんなに美味いコーヒーは飲んだことがない」と感動した教授が黙って1000円札を置いていくほどの腕前だったのだとか。
一度コレと決めたら、トコトンのめり込んで極めてしまう、そんな好奇心旺盛で行動力のある田口様は、アルバイト先の喫茶店でも抜きん出ておられ、どれだけ大人数の団体が来ようとも、誰が何を注文したのか即座に記憶して、間違えることなく配膳できるということで、お客様に褒められるのは日常茶飯事。また、店の中を覗くだけで帰ってしまうお客様に、どうやったら常連になってもらえるかを試行錯誤し、見事に常連になっていただけたご経験もあるとのことで、飲食業が好きでたまらない…そんな学生時代だったそうです。
大学をご卒業されたのちも、大好きな飲食業に没頭しながら、半ばアルバイトの延長線上といった形で働いていらした田口様。そんな甥を見かねた叔母さまが、ご自身の営む「正福亭」というラーメン屋を「正福」という小さな割烹に転身させるタイミングで田口様を呼び寄せたところから、福岡天神の老舗定食屋は始まりました。
帰郷してから3ヶ月後のタイミングで、お店の板前が辞めてしまったため、田口様は素人同然の状態で板前としてお店に立つことになるのですが、生焼けの魚や味のない料理を出しては、お客様に叱られる日々…。これではダメだと、閉店後に近くの小料理屋に入ってはカウンター席を陣取って、板前の手元を見ながら学んだり、それだけでは飽き足らず「ここぞ」と惚れ込んだ小料理屋に無給の皿洗いとして入り込んでは、なんとか板前に教えを乞おうとチャンスを窺ったりと、とにかく必死に独学で腕を磨くこと約10年。田口様の気さくなお人柄と確かな料理の味で評判が評判を呼び、気がつけば県内に7店舗を構えるほどに「正福」の事業は大きくなっていきました。
7店舗まで拡大するも逆境に遭い、たたみ掛けるコロナ禍を受け事業譲渡を決意
そんな順調だった「正福」に陰りが見えてきたのは、田口様が居酒屋タイプの出店に多額の投資をした頃からで、ご本人曰く「お客様にくつろいでもらうために、とても居心地の良い椅子を入れたんです。そうしたら、17時の開店から夜中1時の閉店まで動かないお客様ばかりになった。回転率はひどいものでした。私は“定食屋”だったから、時間に対するビジネス感覚がなかったんです。定食屋は長く居座っても1時間程度…でも、居酒屋はそうじゃないんだってことに気付くのが遅かった」
こうして、資金繰りのために少しずつ規模を縮小して残ったのが今の「正福」なのですが、この店舗は実質的な「正福2号店」であり(1号店は既に閉店して、その名を2号店に譲った)田口様が初めてご自身で作られた思い入れ深いお店でもあるのだとか。そんな大切な場所を譲渡することに決めた理由をお伺いすると「この2号店がオープンしたのは、今から28年前。店の柱になってくれている従業員は、全員が40歳を超えています。その歳だと自分で独立でもしない限りは再就職なんて難しい。だから、正福でずっと面倒を見てあげたい。でも、自分も今年で68歳…正直、当時の情熱もなくなりつつありました。だから、誰かに経営を託す方がよいと考えるようになったんです」とのこと。そこに、時を同じくしてコロナ禍となり「今が決めどきだ」と決断されたそうです。
そんな田口様が、事業譲渡先を選ぶ上で大切にしたことは、前述の「従業員を守ること」に加えて「暖簾を守ること」だったとも。ここでいう暖簾とは、物質的なもの=お店の入り口にかかっている“暖簾そのもの”とのことで「暖簾というのは、その店の歴史そのものです。色褪せてボロボロになりながら、その店の歴史を見つめてきた貴重な存在なんです。お店の中身は、時代に応じて変化していくものだし、むしろ変化していかなければダメな時もある。ですが、暖簾そのものは、どんなに中身が変わっても、変えずに守り抜かなければいけないものなんです。これから先、20年30年と福岡のどこかで正福の暖簾がかかり続けてくれることが、私とって何より大切なことなんです」と力強くお話しいただきました。
老後のことまで心配してくれるアドバイザーは、心から信頼できるパートナー
自らを“定食屋”と呼び、お金周りのことには無頓着だとおっしゃる田口様にとって、アドバイザーである税理士法人武内総合会計の大西様と屋形様は、非常に頼もしいパートナーだったそうです。とても良心的で、田口様の想像していた以上にサポートしてくださったとのことで「私にはM&Aの知識なんて全くありませんでしたが、彼は自分のような弱い立場にちゃんと立ってくれて、第三者として冷静に判断をしてくれた。そういう人が間にいてくれなかったら、話はまとまらなかったと思います。そして、彼らのすごいところは、私の老後の心配までしてくれるところです。大西さんは事業譲渡が終わった後のことまで、私に代わって真剣に考えてアドバイスをくれた。それにも助けられました」とのこと。
実は田口様、既に個人事業主として加工食品の通信販売を行う事業をされていらっしゃるのですが、それも譲渡後の生活に不自由がないように…と大西様と屋形様がご提案されたことらしく、その事業の会計は屋形様にお任せしているそうです。
M&Aが終わっても、新たな形でチームを組むほどにアドバイザーと強い信頼関係で結ばれている田口様。そんな田口様は今、「パソコンは苦手だから」と、1枚1枚丁寧に手書きで新サービス開始のご案内状を書いては、これまでお付き合いのあった方々に送付されているそうです。そのハガキの返信率たるや、普通のダイレクトメールでは考えられない高さの順調な滑り出しで、心なしか田口様も晴れやかなお顔をしていらっしゃいました。
田口様の今後の更なるご活躍を、バトンズ一同、心より応援いたしております!
この案件を担当したM&Aアドバイザー税理士法人武内総合会計の紹介ページ
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