M&Aの取引において、のれんは重要なワードの1つといっていいでしょう。しかし、のれんは会社の持っている見えない価値を表しているため、わかりにくい部分のある言葉です。近年、大企業によるのれんの減損のニュースが報じられる機会も増えており、のれんを正しく理解することの重要性は増しています。
本記事ではM&Aの売手と買手が知っておくべき、のれんのリスクとその対策について、解説していきます。
M&Aにおけるのれんとは?
M&Aにおけるのれんとは何なのか?最初に言葉の定義や必要性を説明します。
M&Aにおけるのれんの定義
のれんの定義としてもっともわかりやすいのは買収対象となる会社の純資産と買収金額との差額というものです。数式で表すと、きわめてシンプルで、「買収金額-純資産」となります。
しかしその実態を考えると、シンプルには割り切れない部分がたくさん出てくるのです。のれんの評価の仕方は業界によっても異なるでしょう。のれんの評価は主観的な要素も入ってくるため、かなり幅が生じる可能性があります。
「のれん」の由来は「暖簾」
「のれん」は飲食店の軒先にかかっている「暖簾」に由来する言葉です。「暖簾」は店の看板という言葉で置き換えることもできるでしょう。つまり店の知名度、信頼性、技術力、人材など、数字で表すことのできない価値を表す言葉なのです。
負ののれんとは?
M&Aにおける売却価格が会社の純資産の額よりも下回った場合、無形資産はマイナスであると判断され「負ののれん」と呼ばれます。負ののれんは理論上では発生しないのですが、M&Aにおける会社の売買価格は最終的には主観で決定されることもあるため、負ののれんが発生するケースは少なくありません。
のれん代は「買収金額-純資産」という数式で導き出されるものです。買収金額が純資産よりも少ない場合には金額はマイナスとなり、負ののれんとなるのです。
売手が純資産よりも少ない買収金額で会社を売るのは、廃業を選択した場合、純資産がM&Aで売却する時よりも低い評価をされるケースが考えられます。また、資産負債が将来的に増加されることが予測される場合にも、買収金額は低くなるでしょう。
負ののれんは会社の価値よりも安く会社を手に入れたと判断されるため、会計処理する際に特別利益として計上されるので注意が必要です。
なぜのれん代が必要なのか?
のれんが必要になったのは会計処理上の理由からです。会社を買収した場合、買った会社の資産価値と支払った価格との間に差があると、歪みが生じてしまいます。
例えば、買収する側が資産価値15億円の会社を20億円で買ったとしましょう。会計処理上、15億円と20億円の差を埋める必要があり、差額となる5億円がのれん代として計上されるのです。
M&Aにおけるのれんの種類
M&Aにおけるのれんには、会計上ののれんと税務上ののれんの2種類あります。また、会計上ののれんには2つあり、「日本会計基準・国際会計基準」によるものと「個別財務諸表・連結財務諸表」によるものです。
このように、一口に「のれん」と言っても指す内容が異なります。どののれんのことを指しているか理解するためには、まずはのれんの種類とそのポイントについて押さえていきましょう。
1.会計上ののれん「日本会計基準・国際会計基準」
会計基準におけるのれんは、M&Aによって売り手企業から引き受けた資産負債の純資産と、M&Aにおける支払対価との差額のことです。日本会計基準と国際会計基準では、のれんの取扱い方が微妙に異なります。
会計基準ごとの処理方法については記事後半で説明するため、ここではそれぞれのメリット・デメリットを紹介します。
日本会計基準では毎期一定額ののれんを計上しますが、減損の兆候が見られない限りは、厳密に減損を測定する必要はありません。毎期一定額ののれんを償却するだけで済むため、会計処理を比較的楽に実施できるのがメリットです。一方、毎期一定額の費用計上が必要なため、営業利益が低下します。
国際会計基準においては、のれんの償却は認められていません。しかし、減損の有無については毎期テストで確認する必要があります。のれんの償却分を毎期費用計上する必要がないため、営業利益の低下を招かないのがメリットです。
収益力が低下して減損処理が必要な場合は、償却していない分多額の減損が発生します。さらに、減損テストを毎期行う必要があるため、会計処理にあたって手間がかかるのはデメリットです。
2.会計上ののれん「個別財務諸表・連結財務諸表」
続いて、財務諸表上ののれんについて解説します。財務諸表上でののれんは、貸借対照表における勘定科目の1つです。個別財務諸表と連結財務諸表で、のれんの取扱い方が異なります。
個別財務諸表とは、会社単体の決算書のことです。グループ企業であっても、会社が個別に個別財務諸表を作成します。個別財務諸表では、基本的にはのれんは計上されません。
M&Aの中でも最もよくあるスキームが株式譲渡です。株式譲渡を実行すると、個別財務諸表では買収価額が子会社株式として資産計上されます。買い手が売り手の時価純資産よりも多い、あるいは少ない額で買収しても、全額が子会社株式として資産計上されるため、のれんは計上されず、のれんの償却も発生しません。なお、株式譲渡以外のスキームでは、個別財務諸表であってものれんが計上される場合もある点には注意が必要です。
連結財務諸表とは、グループ全体の個別財務諸表を合算して調整したものです。個別財務諸表とは異なり、グループ全体の財務状況を表しています。連結財務諸表では、売り手企業の時価純資産額とM&A価額の差分がのれんとして計上されます。
3.税務上ののれん
会計上ののれんは、税務上では「資産調整勘定」「負債調整勘定」と言います。
資産調整勘定とは、簡単に言うとM&Aの対価が売り手企業の時価純資産価額を超えた部分のこと、つまり正ののれんのことです。対して、負債調整勘定は、負ののれんを指します。なお、厳密には、会計上ののれん中でも「独立した資産として取引される慣習があるもの」については、税務上「営業権」として取扱います。
営業権は、資産調整勘定とは別の扱いです。のれんのうち、営業権に該当する部分を引いたものが資産調整勘定であり、この部分を償却する、と考えると分かりやすいでしょう。税務においては、資産調整勘定を損金、負債調整勘定を益金として償却します。
税務上ののれんは、差額の有無にかかわらず子会社株式として全額を資産計上するため、株式譲渡によるM&Aは発生しません。
のれん代の算出方法
のれん代は最終的には売手と買手との交渉によって決定されますが、その交渉の根拠となる会社の価値の算出方法はいくつかあります。代表的な計算の仕方を簡単に説明しましょう。
のれん代の求め方は複数ある
のれん代を設定するにはまず会社の価値、つまり株式評価を算出しなければなりません。通常、株式評価の算出方法は大きく分けると、コストアプローチ、インカムアプローチ、マーケットアプローチの3つになります。しかしコストアプローチはのれん代を含めない算出方法です。
のれん代を算出する上で有効なのはインカムアプローチとマーケットアプローチの2つということになります。
①インカムアプローチ
将来に得られるであろうリターンや配当などの経済的な利益を、想定されるリスクを反映した割引率で現在の価値に置き換えることによって、価値を算出する方法です。代表的なものとしてDCF法、収益還元法、配当還元法などがあります。
②マーケットアプローチ
類似する同業他社や類似業種の他社の株価を参考にして、企業の価値を算出する方法です。市場株価法、類似会社比較法、類似取引比較法などがあります。
これらの方法で算出した会社の価値から純資産を引いたものが、のれん代の基準となるものです。
のれんを構成する要素
株式評価で算出された価格を参考にして、のれん代が決まります。ただし最終的な売買価格はデューデリジェンス(買収監査)が行われた後に決定されるので、さらにさまざまな要素が加味されることになるのです。
のれんを構成する要素とはどんなものでしょうか?箇条書きであげてみましょう。
・会社の知名度、商品の知名度、ブランド力、信頼性など
・会社の事業価値や将来性
・技術力、開発力、ノウハウ、特許権、知的財産権など
・市場での独占性
・顧客リスト、顧客との関係
・人材
これらの要素は数字で表すのが難しいものです。買手側が評価するポイントはそれぞれの会社が何を求めているかによっても、変わってくるでしょう。
日本会計基準に則したのれんの会計処理方法
日本会計基準に則したのれんの会計処理のポイントは、以下のとおりです。
・毎期一定額、最大20年かけてのれんを償却する
・のれんの収益力が低下した場合は、必要に応じて減損処理を行う
日本会計基準では、のれんを効果の及ぶ期間で合理的な方法によって償却する、と定められています。効果の及ぶ期間を定義することは難しいですが、投資(買収価額)の回収期間に基づいて設定することが一般的です。また、20年以内に償却することが定められています。実際は、5年程度かけて償却するケースが多いようです。
合理的な方法も同様に明確化しにくいですが、ほとんどの場合、毎期定額法で償却されます。これは、のれんの投資回収金額を毎期算出することが難しいためです。また、負ののれんについては特別利益に計上されます。
のれんの収益力が低下して減損の兆候が見られる場合は、必要に応じて減損処理が必要です。割引前キャッシュ・フローと帳簿価額を比較し、減損を認識した場合は、回収可能額を算定し、帳簿価額との差額を減損損失として計上します。
国際会計基準(IFRS)に則したのれんの会計処理
国際会計基準(IFRS)に則したのれんの会計処理のポイントは、以下のとおりです。
・のれんは償却しない
・減損テストを毎期実施する
国際会計基準では、のれんの償却は認められていません。のれんは、貸借対照表に資産として計上され、その額で計上し続ける必要があります。
また減損テストを、毎期実施する必要があるのは特徴です。日本会計基準では、減損の兆候があったら必要に応じて実施することとなっています。国際会計基準では、兆候の有無にかかわらず、必ず毎期実施する必要があります。
減損テストとは、帳簿価額と回収可能価額を比較することです。のれんを含んだ事業価値を、DCF(Discounted Cash Flow)法で算定して回収可能価額とし、帳簿価額との差をチェックします。減損テストの実施時期は、決算月である必要はありません。毎期同時期に行えば良いとされています。
売り手企業がのれんを高く評価されるためのポイント
売り手は、会社を少しでも高い金額で売りたいと考えるものです。のれんを高く評価してもらうためには、以下の2つのポイントを押さえましょう。
・のれんの価値を認めてくれる相手と交渉する
・自社の強みを理解しアピールする
のれん代を最終的に決定するのは買い手であるため、売り手にできることは、のれんの価値を認めてくれる相手と交渉することです。M&Aの際は、さまざまな買い手候補とマッチングできるサービスを利用し、複数の候補の中から最良の相手を見つけられるようにしましょう。
また、買い手にのれんの価値を認めてもらうためには、自分の会社の強み、セールスポイントを把握することが必要です。そのセールスポイントを効果的にアピールすることが、M&A成功の大きなポイントとなります。
まずは、自社の強みをできるだけ細かく、具体的に把握しましょう。固定客が多くて安定している、市場シェア率が高い、自社工場の技術力が高い、社員の定着率が高いなど、具体的な強みを明確にします。
そして、強みを伸ばす余地があるものについては、目標を設定して向上を目指すとよいです。強みをさらに伸ばすことが高評価につながり、のれん代にも反映されることが期待できます。
買い手企業がのれんの減損を防ぐためのポイント
買い手企業にとっては、M&Aによってのれんの減損が起こることを防ぐ必要があります。のれんの減損を防いでM&Aを成功させるためには、以下のポイントを理解しましょう。
・売り手の企業価値を適正に評価する
・売り手企業の経営実態を把握する
・PMIを重視する
のれんの減損が起こる1番の要因は、売り手企業の価値を適正に評価できず、実際の価値以上の金額で買収してしまうことです。そのため、企業価値の算定を専門家に依頼し、慎重に判断したうえでM&Aを実施する必要があります。
また、M&A後に想定とは異なる経営実態が判明する、というケースもあります。M&A前には、財務・税務まわりやビジネスモデル・人事労務など、売り手企業の実態を細かく調べ、明らかにしておく必要があるのです。
M&A前の監査のことを、デューデリジェンスと呼びます。デューデリジェンスを入念に実施し、交渉中にはわからなかった売り手企業の実態が後で判明する、というリスクを防ぎましょう。
さらに、M&Aでは成立後の統合プロセスが重要です。これをPMI(Post Merger Integration)と呼びます。M&Aによる効果を早期に実現するためには、PMIが欠かせません。
PMIを実施することで、想定どおり、あるいは想定以上の成果を出せるため、のれんの減損が発生することを抑制することが可能です。
M&Aの失敗事例
最後に、M&Aの失敗事例を紹介します。
M&Aを行うにあたって、成功事例を知ることはもちろん重要です。しかし、失敗事例を参考にすることで、M&Aにおいて気をつけるべき点が明らかになり、M&Aの成功に活かせます。ここでは、以下の3つの事例について紹介します。
・多額ののれんが計上されていた大手メーカーの失敗事例
・負ののれんを積み上げ大幅赤字が計上されたジムの失敗事例
・買収額相当ののれんが計上された大手グループ会社の失敗事例
多額ののれんが計上されていた大手メーカーの失敗事例
2006年、ある大手メーカーが、アメリカのメーカー企業を買収した事例です。当該企業は米国会計基準を採用しているため、のれんの償却は行われず、毎期減損テストを実施していました。
買収後、2011年度までは売り手・買い手双方の減損チェックにおいて、減損の発生は認められていませんでした。
しかし、2011年の東日本大震災の影響を受け、原子力発電所の建設予定が後ろ倒しになります。その影響で、2012年度売り手企業の減損チェックで減損の発生が認められ、減損損失が計上されました。
また買い手企業の連結グループでは、回収可能価額が帳簿価額を上回っていたため、減損損失は計上されませんでした。その後も同様に、売り手企業では減損が計上されているにもかかわらず、買い手企業では計上されない、という事態が起こります。
ところが、2016年買い手企業の連結グループで財務状況が悪化し、減損が計上されたのです。買収価額が高く、会計基準上のれんの償却が認められていないため、結果として多額の減損損失の計上が必要になりました。
負ののれんを積み上げ大幅赤字が計上されたジムの失敗事例
スポーツジムの展開で有名なある企業は、業績の悪い会社を安く買収し、事業を拡大していくというM&A戦略をとっていました。事業を急速に拡大させ、一時期は売上も順調に増加していったのです。
しかし、買収しているのは業績が悪い会社です。経営改善が必要であるにもかかわらず、多くのM&Aを急速に実施したため、改善まで手が回りませんでした。
また、それまで計上していた利益は負ののれんであり、実態を伴う利益ではありません。結局、投資回収に失敗し、大幅な赤字が計上されることになったのです。
買収額相当ののれんが計上された大手グループ会社の失敗事例
インターネット関連サービスを提供するある大手企業は、2013年にアメリカでビデオストリーミングサービスを提供するある企業を買収しました。買収価額は約200億円です。買収によってデジタルコンテンツ分野の強化を目指し、海外展開を進めようとしていたのです。
しかし、海外展開がうまくいかず、減損テストで投資回収が困難であると判断しました。結果、買収価額に近い多額の損失を計上することになった事例です。
のれんのリスク管理がより重要な時代が到来
コロナ禍の影響によって、企業の売り上げ予測が下方修正されるケースも目立っており、今後、のれんの減損はさらに増えることが予想されます。先行きが不透明な時代だからこそ、のれんのリスク管理の重要性が増しているといっていいでしょう。のれんの算出にはより慎重な検討が求められるのです。
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