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群馬・赤城山の駅舎レストランを「株式会社ほぼ日」に承継!国の登録有形文化財の建造物を次世代へつなぐ

2025年05月25日

国の登録有形文化財である、旧赤城山鋼索鉄道赤城山頂駅駅舎。群馬県・赤城山で飲食事業等を手掛ける「有限会社大沼山荘」の代表を務める塩原勲様は、二世代に渡りこの地で事業を続けてきました。歴史ある建造物を受け継ぎ、新たに事業を始めるのは、『ほぼ日刊イトイ新聞』などを展開する「株式会社ほぼ日」。塩原様とほぼ日はどのような経緯でご縁が生まれ、そして今後どのように関わっていくのか。大沼山荘の事業の歴史とともに、塩原様にお話を伺いました。

高度成長期に活躍したケーブルカーの駅舎を眺望レストランに再生

塩原様が直近で運営されていた「赤城山頂駅記念館 サントリービア・ハイランドホール(以下、ハイランドホール)」は、前橋市と赤城山を結ぶ2つの県道が交叉する場所にあるカフェレストラン。標高1,390mにあり、天候が良い日には眼下に広がる雲海、その下に連なる山々と関東平野、さらには160km以上離れた東京スカイツリーを望むことができます。店名からもわかるように、ハイランドホールはかつてこの地で運行していたケーブルカーの駅舎を改装したカフェレストランです。

高度成長期に活躍した赤城山のケーブルカーは、東武鉄道グループの赤城登山鉄道によって1957年(昭和32年)から1967年(昭和42年)の間、運行されていました。東武鉄道は鉄道、バス、ケーブルカーを連携させ、東京・浅草から赤城山への観光ルートを整備。観光シーズンになるとケーブルカーは観光客で賑わいました。

その後、マイカーの普及や県道の整備などにより、ケーブルカーの利用者は激減。休止・廃止となりましたが、今でも観光シーズンや休日になると、かつて赤城山頂駅だったハイランドホールには家族連れやカップル、登山客、サイクリストなど多種多様な方々が訪れます。

この赤城山で事業を始めた塩原様のお父様は、業態を変えながら長らく続けてきました。二代目代表を務める塩原様が事業に携わるようになったのは、塩原様のお父様が事業を始めてすぐのこと。

「私の祖父や父は、赤城山周辺で旅館の経営や東武鉄道の委託事業などを行っていました。その中の一つが、駅舎を有効活用する事業です。駅舎はケーブルカーの廃止後、長い間使われていませんでした。その後、他の方が駅舎を利用して売店を始めたものの、短期間で撤退。その営業権と建物を、1980年ごろに私の父が取得しました。

私はというと、当時は前橋市のスズラン百貨店に勤務していましたが、『赤城山の歴史ある駅舎を守りたい』という父の想いに共感し、退職して赤城山へ戻ることを決めました。そこから、父が手掛ける事業に参画するようになりました。」

激変する経営環境の中で、事業のスリム化を実行

駅舎は塩原様のお父様が取得した後、売店として復活。その後、1993年には大手飲料メーカーのサントリーとのコラボレーションにより、「サントリービア・BBQホール」としてリニューアルされました。当時、高い標高の山の上でバーベキューができる施設は珍しく、大変賑わっていたといいます。

塩原様とお父様が二人三脚で経営してきた大沼山荘グループは、飲食事業以外にも先代から引き継いだ旅館業、東武鉄道や自治体からの委託事業、さらに直営のボート場などを多角的に展開。しかし、赤城山自体の観光客が徐々に減少し、2000年代に入ってからは事業を縮小するフェーズに入ります。

「2006年に父が亡くなり、私が大沼山荘グループの代表に就任しました。当社のように事業を多角的に展開してきた会社は、市場環境が変化した際には事業を整理することも重要な戦略です。事業継続に固執してしまうと経費が重荷となり、会社本体が持ちこたえられなくなる可能性がありますから。」

塩原様は事業のスリム化を進め、一部の委託事業と駅舎を活用した飲食事業に注力するようになりました。2018年には、旧赤城山頂駅駅舎とプラットホームが国の登録有形文化財となり、時代の特色を表した貴重な文化財として認められます。

その後、BBQホールはコロナ禍の影響を受けて、カフェレストランに業態を変更。名称を「赤城山頂駅記念館 サントリービア・ハイランドホール」としてリニューアルしました。近年は安定的な売上と利益を確保していますが、事業承継を決断された理由について、塩原様は以下のように話しています。

「私が事業承継を考えるようになったのは、コロナ禍になる前の2020年頃です。その頃、私は50代半ばでした。この年齢で事業承継を考えるのは早すぎると感じる人もいるかもしれません。しかし、事業承継を実現するには5年、10年という長い期間が必要です。それを考えると、決して早すぎることはないと考えました。

また、多くの経営者や自営業者は、高齢になるまで事業を続け、限界を感じたときに承継を考え始めます。しかし、そのような状況では時間的にも精神的にも余裕がなく、適切な譲渡先を見つけられなかったり、引継ぎが不十分になったりする恐れがあります。

もはや、我々の事業は地域にとっても大切な資産となっていますから、事業承継のタイミングとしては少し早いかもしれないけれど、まずは行動を起こしてみようという心境になりました。」

コロナ禍で思うように進まない事業承継……バトンズへの登録で光明

事業承継を決断した塩原様は、まずは公的機関である群馬県事業承継・引継ぎ支援センターに登録。しかし、コロナ禍という影響もあってか、登録から約5年間で問い合わせはほとんどなく、わずかな問い合わせも見送りになってしまうという状況でした。

併せて銀行を通じた事業承継も検討したものの、手数料の兼ね合いから断念。打開策として、支援センターと協議の上、M&Aプラットフォームのバトンズを活用することを決断します。

バトンズでは、群馬県と協業して群馬県特設サイト「ミライマッチング」を開設し、あとつぎに託したいことや募集要件などをオープンネームで掲載しています。塩原様は、そこで譲りたい事業の情報や思いを掲載した募集ページを掲載。あとつぎの公募を実名で開始しました。

「ミライマッチング」募集ページ

「バトンズのビジネスモデルを知ったとき、WEBを経由した企業版のお見合いのようなものだと理解し、非常に興味深いと感じました。情報発信や交渉先とのコミュニケーションなどについては、バトンズのコンサルタントである戸田さんがサポートしてくれたので、安心して進めることができました。

登録してみると、すぐに3〜4件の問い合わせがあり、手応えを感じたことを覚えています。しかし、条件が折り合わなかったり、事業への本気度が感じられない方だったりしたため、成約までには至りませんでした。

中には、個人の方から起業を目的とした問い合わせもありました。しかし建物が古くなってしまっているため、近い将来に大規模な修繕が必要となります。個人の方だと資金的に厳しいだろうと思い、すべてお断りしました。」

承継先が決まるまでに苦労したものの、事業承継に向けて行動をしてみたことで、どのような相手が承継先としてふさわしいかが明確となったと塩原様は振り返ります。

ほぼ日とのご縁は、大工さんとの何気ない会話から生まれた

そんな中、思わぬ形で転機が訪れました。ある日、ハイランドホールの改修を担当した大工さんから、「糸井重里さんが代表を務めるほぼ日が、赤城山周辺で拠点となる場所を探している」という話が舞い込んできたのです。

「その大工さんを通じて、『今ちょうど、ハイランドホールの承継先を探していますよ』とほぼ日にお伝えしたところ、近々、糸井重里さんとほぼ日の皆さんが、赤城山に現地視察にいらっしゃるとのことでした。そこで、『ハイランドホールにぜひ、お立ち寄りください!』とお伝えしたところ、本当に糸井さんがお見えになったんです。

当日は楽しくお話しさせていただいて、後日、御礼のメールをお送りしました。その中で私としては、ほぼ日にハイランドホールを受け継いでいただきたいとの思いをお伝えました。」

この塩原様のメッセージに対し、ほぼ日からも前向きに話を進めたい旨の返答がありました。その後は、WEB会議などを経てトントン拍子に話が進んでいきました。一方で、話がまとまるまでの過程において、バトンズの存在も大きかったと塩原様は話します。

「バトンズと一緒になって、事業承継の計画を立て、準備をしてきたからこそ、ほぼ日さんとスムーズに話が進められたと思います。担当の戸田さんがすごく誠実な方で、親身になって相談相手になってくれたのも心強かったですね。

事業承継に立ち向かう経営者は孤独です。戸田さんに事業承継についての私の考え方をお話しすると、『いいですね!』といつも共感してくれました。そのたびに、『あー、自分の考えは間違っていないんだ』と安心できました。」

事業承継後も、ほぼ日から委託を受けてハイランドホールに関わる

ほぼ日主導のもと新たなスタートを切るハイランドホールは、2024-2025年冬期シーズンは一時閉鎖中。赤城山の気候が緩んで春シーズンに入ると、リニューアル工事が始まります。ほぼ日のアイデアと実行力で駅舎はどのように生まれ変わるのか。最新情報については、ほぼ日刊イトイ新聞の「あかぎのまど。」をチェックしてみてください。

ほぼ日刊イトイ新聞「あかぎのまど。」

 

運営をバトンタッチした後も、塩原様とほぼ日の関係は続きます。塩原様はほぼ日からの委託を受ける形で、リニューアル後のハイランドホールの運営に携わる予定とのこと。このほか、大沼山荘はリフトよりも簡単に利用できるスノーエスカレーターが設置されている「赤城山第1スキー場」での委託事業にも、これまで通り関わっていかれるそうです。

「今、後継ぎがいないという理由で、ものすごい数の店舗や会社が無くなっています。しかし、1軒のお店、1個のお土産のそれぞれがその地域の財産なんです。つまり、これらはもはや店主や経営者のものではなく、地域の財産として将来を考える必要があると思います。

だからこそ、自身の事業をどうしようか迷っている方には、『お店や会社が無くなることは、地域の損失なんだ!』という気概を持って、勇気ある一歩を踏み出してほしい。それぞれの地域で事業承継のファーストペンギンとなる人が現れれば、『私もやりたい!』という人が次々に現れるはずです。実際に私の周りで、『次は自分が事業承継をしたい』という方々が出てきていますよ。」

ご自身の経験をもとに、事業承継をしたいという地域の方々のサポートをしていきたいという塩原様。赤城山周辺で「事業承継をするのが当たり前」という環境をつくり、地域住民と新しく流入してくる人の架け橋の役割を担っていきたいとのことでした。

地域活性化に取り組まれる塩原様のさらなるご活躍、大沼山荘グループのますますのご発展をバトンズ一同心より応援しています!

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