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長野県・志賀高原の旅館をM&Aで存続。ホワイト・ベアーホテルズが描く、地方再生の未来像

2025年05月13日

株式会社ホテル東館が経営する「北アルプスを望む露天風呂の宿 ひがしだて」は、日本屈指のスキーリゾートである長野県の志賀高原に位置する老舗旅館です。1960年より家族経営で続けてきた同宿は、後継者不在の理由からM&Aによる事業存続の道を模索。2025年4月に、ホテル・旅館の運営やコンサルティング事業を手掛ける「株式会社ホワイト・ベアーホテルズ」へ事業承継をしました。M&Aを仲介として支援したのは、ホテル東館のメインバンクとして長らく支えてきた長野信用金庫。今回、同金庫の本部で執り行われた成約式に同席し、ホテル東館代表の竹節浩史様、ホワイト・ベアーホテルズ代表の近藤康生様に、M&Aの経緯や今後の展望についてお話をお聞きしました。


 

譲渡企業
社名 株式会社ホテル東館
業種 ホテル・旅館運営
拠点 長野県
譲渡理由 後継者不在

 


 

譲受企業
社名 株式会社ホワイト・ベアーホテルズ
業種 ホテル・旅館運営など
拠点 大阪府
譲受理由 新規エリアへの進出

 


長野信用金庫の支えを受けながら、64年に渡り運営してきた志賀高原の老舗旅館

ホテル東館が運営する「ひがしだて」は、志賀高原にある老舗旅館です。1960年に竹節様のお父様が創業され、1989年に竹節浩史様が二代目として代表に就任。そこから、30年以上に渡り奥様と二人三脚で旅館経営を続けてきました。

竹節様が経営を引き継いでからは、1995年に阪神淡路大震災が発生、1998年の長野オリンピックもブレーキとなってしまうなど、志賀高原にとって長い低迷期を迎えます。そしてその後、2011年の東日本大震災と、その翌日にあった長野県北部地震が大きな打撃となり、ひがしだては事業の転換を迎えることになります。

竹節様:「東日本大震災の翌年あたりから、ひがしだては団体客中心であったところから、個人客中心の旅館へ転換させる決意をしました。そこから十数年の間、長野信用金庫の皆様には本当にお世話になりました。」

団体客から個人客への転換にあたり、個人客向けの内装や設備の刷新には、当然ながら多大な費用負担が生じます。その際に支えとなったのが、メインバンクである長野信用金庫でした。

竹節様:「長野信用金庫は、先代からお世話になっている金融機関になります。経営危機に陥ったときにも、長野信用金庫のみ支援に応じていただいた過去もあり、先代からは『何があっても信用金庫を裏切るようなことはするな』ということを言われ続けてきました。

私が経営を引き継いでからも、例えば融資がなかなか受けられないという中で、経営革新等支援機関の認定取得の提案をいただいたり、コロナ禍に事業再構築補助金の取得に向けた支援をいただいたりなど、さまざまな場面で下支えをいただきました。その後も経営危機によって廃業を考えているときに、当時の支店長から『我々が支えます』という一言をいただけて、今を迎えることができています。」

長野信用金庫の支えとともに、多くの経営危機を乗り越えてきたひがしだてでしたが、今後の事業存続にあたり、解決しなければならない課題がもうひとつありました。それが、旅館経営の後継者問題でした。

竹節様:「私たちは息子が3人おりますが、2年くらい前に旅館は継がないと意思表示を受けました。これまで妻と2人で経営してきたので、事業継続をするためには何か方法を考えなければいけません。志賀高原という土地柄、廃業は廃屋につながることにもなり得るため、これは絶対に避けなければならないと思いました。」

事業継続に危機感を抱いた竹節様は、長野信用金庫へ相談。地元で愛される旅館の廃業危機に対して、同金庫は事業承継による存続方法を提案しました。その提案を受け、ホテル東館はM&Aによる承継先の検討を開始。そこで手が挙がったのが、同じくホテル・旅館運営を手掛ける株式会社ホワイト・ベアーホテルズでした。

複数の旅館を運営するホワイト・ベアーホテルズ。憧れの地、志賀高原に浅からぬご縁

株式会社ホワイト・ベアーファミリー」のグループ企業であるホワイト・ベアーホテルズは、ホテル・旅館の運営だけでなく、ホテル・旅館の再生、コンサルティング事業なども展開している会社です。

運営施設には、創業100年・2500坪の広大な敷地を有する、熊本県玉名市の「玉名温泉 山もみじの宿 八芳園」、1300年の歴史を誇る、長野県下高井郡山ノ内町の温泉旅館「渋温泉 小石屋旅館」、大阪市此花区のグランピング施設「パームガーデン舞洲」などがあります。同社代表の近藤様は、ひがしだての事業承継に乗り出した経緯について、次のように説明します。

近藤様:「当社は50年ほど前、『学生スキーツアー』として大学生を集め、現地で学生がスキーを教えるという学生ビジネスとしてスタートした会社なんです。私自身、当時は長野県内のあらゆるスキー場を回って交渉していた過去があり、そんな私たちにとって志賀高原は憧れのスキー場でした。私もこれまで、数十回では収まらないくらい山に登っている身です。」

志賀高原に対して特別な想いを抱いていた近藤様は、創業時の浅からぬ縁を感じたと振り返ります。また、同宿は近隣の渋温泉(長野県下高井郡山ノ内町)に旅館を引き継いだばかりで、志賀高原への事業拡大も非常によいタイミングでした。

近藤様:「当社は2024年12月に渋温泉の『小石屋旅館』を事業承継させていただきました。この旅館をオープンしたひとつの理由は、志賀高原へのスキー客の存在です。渋温泉自体がひとつの観光地ですが、できればマネジメントしやすい規模の旅館を展開したいと考えていました。そんなことを考えて『小石屋旅館』を引き継いだのですが、運営開始直後に偶然にも長野信用金庫さんから今回の件を紹介いただいたのです。」

100㎡を超える高級志向の客室も。改装をした「ひがしだて」に衝撃

今回のM&Aでは、長野信用金庫が仲介としてマッチングと成約支援を対応。また、M&Aプラットフォームのバトンズがセカンドオピニオンの立ち位置で関わりました。同金庫から紹介を受けて「ひがしだて」に訪問された近藤様は、当時の竹節様の印象について以下のように話します。

近藤様:「最初に驚いたのが、竹節さんがスーツにネクタイ締めて目の前に現れたことです。私は志賀高原の旅館の経営者で、スーツとネクタイ姿の方は見たことありませんでしたので。そしてそこから客室を見せていただき、さらに驚きました。」

バブル崩壊後、日本の観光産業は団体客の利用が衰退。逆に増加していたのが、家族や個人単位での旅行ニーズでした。需要に合わせて業態変化を迫られる中で、志賀高原の旅館は団体用の部屋が多く、市場変化に対応できていないところがほとんどだったと近藤様は振り返ります。

一方で、ひがしだては個人向けや高級志向の方向けに改装に取り組んでおり、最も大きな部屋は100㎡以上の広さで、部屋には露天風呂、マッサージチェア付きの部屋もあります。これが志賀高原にあるということに、近藤様は衝撃を受けたと話します。

志賀高原は、修学旅行生やスキー合宿などの団体客を受け入れる旅館がほとんどであるという印象を持っていた近藤様は、ひがしだての改装された部屋を見て、M&Aを前向きに進めることを決めます。

近藤様:「ひがしだては高級志向の宿泊客も満足させることができるよう、部屋を改装されていました。そして何より、それをご家族のみでやられているというのが大変驚きでした。

最初に長野信用金庫の石坂さんから『志賀高原に素晴らしい宿があります』という話を伺い、今回の話が始まりました。私は志賀高原をある程度知っているつもりでしたが、私の想像を遥かに超える素晴らしい宿でしたので、石坂さん経由でなんとか我々の運営のもとでやらせていただきたいとお願いをしました。」

志賀高原に関わりが深く、理解ある買い手候補者に「この方に引き継いでもらいたい」

事業継続という大きな分岐点に立たされていた竹節様。承継先候補として現れた近藤様に対して、当初どのような印象を持たれていたのでしょうか。

竹節様:「最初に企業紹介を受けた際、広げられたリーフレットに、ひとつだけ知っている施設がありました。それが、パームガーデン舞洲です。そこは、過去に我々のお客様から『大阪にこんな施設ができたから見に来なよ』とお誘いいただいたこともある施設でした。そのため、『あの施設を運営されている会社なんだな』というのが最初の感想でした。

その後はお話をする中で、近藤様が古くから志賀高原と関わりが深い方であるということを知りました。また、志賀高原は一般社団法人和合会の所有地であるため、その中での旅館経営はさまざまな手続きが必要であり、一般の旅館運営とは異なる部分があります。近藤様は、そういったことも把握・理解をした上で手を挙げていただいていました。

志賀高原のことをよくご存知であり、理解が深い方であるということを強く感じ、『この方に引き継いでもらえるのであれば、こんなにありがたいことはない』という思いになりました。」

その後は、「ここまでスムーズに進んでよいのだろうか」と竹節様が感じるほど、トントン拍子に交渉が進行。また、近藤様をはじめとしたホワイト・ベアーホテルズの社員とも打ち合わせを繰り返す中で、竹節様は改めて経営に対する気づきを得られたとも振り返ります。

竹節様:「私がひがしだての代表として運営に携わるようになったのは、平成元年からになります。経営に関わって30年以上になるのですが、『もっとやれることがあったのではないか』と気づかされる場面がたくさんありました。これからは、ひがしだてがもっと上を目指していけるよう、私自身もひがしだての一員として、しっかり応援していきたいと思います。」

地方再生には、地域の要となる宿泊施設の建て直しが重要。ひがしだてを地域再生のロールモデルに

写真)左からホワイト・ベアーホテルズ:近藤様、長野信用金庫:理事長 市川様、ホテル東館:竹節様

2025年4月10日に、両社は長野信用金庫本部で成約式を執り行いました。その場には竹節様、近藤様のほか、「ひがしだて」の事業継続を支えた長野信用金庫も参加しています。正式に事業承継が完了し、「ひがしだて」は第二のスタートを切ることになりました。

成約式において、近藤様は「資本を取得させていただいた形であり、運営は今までと変わりはない」ことを述べられています。竹節様も、今までどおり旅館運営の一員として、30年以上培ってきた経験とノウハウを発揮していくことになります。旅館の運営を引き継がれた近藤様は、ひがしだての今後の取り組みと、会社全体の運営方針について次のように意気込みを語ります。

近藤様:「観光庁の方針によると、国立公園内などはラグジュアリーホテルの増築、もしくはそこに力を入れていくという意向が出ています。志賀高原の中では、ひがしだてが最もその方針に適応できているのではないかと感じています。まだ全客室の改装まではできていませんので、さらなる上質化を進めることで、お客様の満足度向上につなげていきたいと思います。

また、日本の重要なテーマとして今『地方再生』が叫ばれています。地方を再生するためには、地方における要となるホテル・旅館を建て直すことが最も重要であるというのが我々の考えです。

ホテル・旅館を入り口に地方にしっかりと入り込み、地方再生を目指す、これはビジネスとしても非常にやり甲斐があります。今後も、地域再生につながるような宿泊施設の運営をしていくことを目指し、ひがしだてがそのロールモデルとなれればと思っています。」

株式会社ホテル東館様、株式会社ホワイト・ベアーホテルズのこれからのご発展を、バトンズ一同、心より応援しております。

【成約を支援した長野信用金庫 石坂力男様のコメント】
株式会社ホテル東館様と株式会社ホワイト・ベアーホテルズ様のM&Aをサポートさせていただきました。
私は「事業承継をもっと身近に」「全ての方が満足のいくM&Aをご提供する」ことを使命と掲げ、これまでに約50件のM&A支援に関与してきました。
M&Aマーケットではシナジー創出のため異なる地域のマッチングが効果的と言われていますが、後継者不在企業の事業承継支援を信用金庫が行う上では「お相手探し」に苦慮する信用金庫が大半だと思います。
そのような状況で、長野県×大阪府といった異地域のマッチングを長野信用金庫が仲介し、実現できたことに大きな手応えを感じております。
また、今回は単なる「後継者不在型M&A」ではなく、今後の成長戦略実現が大いに期待できる「成長戦略型M&A」の要素も兼ね備えたマッチングであったと確信しております。
本ディールは約4ヵ月でクロージングとなっていますが、その間の条件調整に昼夜を問わず奔走し、細部まで踏み込んだディールを完成することが出来ました。また、結果的に株式会社バトンズ様と地域金融機関の連携による革新的な取り組みを実現させることができ、新たな支援の在り方を生み出すことができました。
本件では株式会社バトンズ様の皿谷先生、鈴木様、武田様、君島様には大変お世話になり、日頃のリレーションの重要性を改めて認識致しました。
今回の取り組みにより、対象会社及びグループの飛躍的成長を願うとともに、これからも長野信用金庫では1社でも多くの企業間のバトンリレーを実現させ、地域の発展に貢献していく所存です。
誰でも会社を売買できる時代に、テレビで話題急増中

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