青森県むつ市柳町の一角には、壁に大きな緑十字を背負い、「町の相談薬局」として町民に頼られてきた「おき薬局」があります。有限会社おき薬局の代表として長年お店を運営されてきた沖俊昭様は、お店のシャッターが閉まった後でも、365日24時間、町民からSOSがあれば相談に乗っていた時期もあったと言います。
そして開業から約40年が経ち、ご引退を考えるようになった沖様は、青森銀行と二人三脚で後継者探しを進め、バトンズを通じて事業承継を実現されました。インタビューの中で「お客様が第一」という言葉を繰り返しお話しされていた沖様に、開業の経緯や会社譲渡を決めた想いについて、お話を伺いました。
譲渡企業 | |
---|---|
社名 | 有限会社おき薬局 |
業種 | 調剤薬局 |
拠点 | 青森県 |
譲渡理由 | 後継者不在 |
譲受企業 | |
---|---|
社名 | マリーングループ |
業種 | 薬局運営・薬局独立支援など |
拠点 | 京都府 |
譲受理由 | 新規エリアへの進出 |
「三十にして立つ」と決め、紆余曲折を乗りこえて青森県むつ市に薬局を開業
沖様が「おき薬局」を創業されたのは、昭和59年のこと。当時、富山県で製薬会社の営業職に従事していた沖様は、「5年後、30歳になったら独立しよう」と、将来を見据えていたそうです。
30歳を迎える頃、当時抱えていた思いを実現するべく開業の検討をしていると、全国に卸先を抱える薬問屋から、青森県むつ市にある薬局を紹介された沖様。そこの店主が後継者を探していると聞き、「独立が叶うなら、日本全国どこでも構わない」と、縁もゆかりもない新たな地へと移り住んだのでした。
ところが、その薬局に次期後継者として勤務していた折、店主の娘さんが薬学部に合格したことから「やっぱり、このお店は娘に譲りたい」と話が一転。沖様の開業への道は、一度断たれてしまったのでした。
「それでも、独立を諦めるという気持ちはありませんでした。結局そこから10年かかってしまいましたが、むつ市でお世話になった人に相談しながら、今の場所に“おき薬局”を構えることができたんです。」
未開の地へと移り住み、信頼関係を築きながら開業にまで至った沖様。しかし、その後の運営において、新たな土地でお店を営む難しさを体感したと言います。
「一番苦労したのは“言葉”の違いです。むつ市の言葉には独特の訛りや言い回しがあって、はじめの頃は地元で雇った従業員に通訳してもらわないと、お客様との意思疎通ができませんでした。あまりに私が聞き直したり、通訳との会話を挟んだりするので、しまいには『かちゃまち!』と怒られてしまうこともありまして。『かちゃまち』というのは『うるさい』みたいな意味なのですが、こんな風に標準語とは全然違う言葉を使うので、会話をするのが大変でしたね。」
それでも、「お客様第一」の精神を常に持ちながら、それをスタッフにも浸透させる努力を弛まなかった沖様。外部から研修講師を呼んで従業員の育成に励んだり、毎朝欠かさず朝礼をして現場の声を漏れなく吸い上げたりするなど、薬局スタッフ一丸となって町民の要望に応えていった結果、「おき薬局」は地域になくてはならない存在になっていったのでした。
5年前に体調を崩したことから後継者探しをスタート。当初の譲渡先候補は薬問屋
第一線での活躍を続けてきた沖様でしたが、今から5年前に体調を崩されたのを契機に、事業承継を検討。青森県事業承継・引継ぎ支援センターと青森銀行の事業継承相談窓口へお問い合わせをされたと言います。
「このまま入院することになったら、薬局を切り盛りすることが難しくなってしまう。そうなったら、スタッフのみんなもそうですし、何よりお客様にご迷惑がかかってしまうと思いました。」
こうして、沖様にとって最初の後継者探しがスタート。その際には、自社で薬局を展開したいと考えていた薬問屋を営む企業と成約直前まで話が進んだものの、しばらくして沖様の体調が回復したことから、譲渡の話を一旦保留とし、時間の経過とともに事業承継の話は自然消滅していったと言います。
そして2年前、おき薬局で長年勤められた薬剤師のひとりが2024年3月に退職することが決まったことから、再び後継者問題の話が浮上。今回のM&A再検討へと繋がります。これまで40年近くの間続けてきたお店を譲るにあたって、沖様が重視していたポイントは何だったのか。沖様は、以下のように話します。
「譲渡後も変わらずに、私たちのお客様を大切にしてくださるかどうか、それしか条件はありませんでした。具体的には、OTC*の取り扱いを継続してくれるかどうかというのは見ていましたね。なぜなら、私たちは町の薬局であり、お客様あってのものだからです。
いくつか手を挙げていただいたところがありましたが、OTCはやらないという候補者の方が多かったですし、そもそも価格が見合わないということで見送りになるケースもありました。」
そんな中、譲渡先として選んだのは、全国に調剤薬局を構え、「地域密着型薬局」を目指すマリーングループ。ここ数年はM&Aにも積極的に取り組んでおり、人口の少ない地域や小さな離島にも開拓している、経験豊富な企業でした。マリーングループのグループ会社で役員を務め、M&Aの担当もされる鈴木様とお会いした沖様は、当時の印象について以下のように話しています。
「マリーングループの鈴木さんは、OTCの取り扱いを承諾してくださり、他のことにも非常に柔軟に対応してくださいました。また、私は大阪に8年くらい住んでいたことがあるのですが、鈴木さんの大阪弁にもなんだか親近感を持ち、その人柄に魅力を感じました。加えて、会社としての信用面においても、顧問税理士に太鼓判を押してもらえたので、安心して成約まで進めることができました。」
沖様の思いや条件を受け入れる、鈴木様の柔軟性、そしてマリーングループの信頼性に後押しされ、通算で5年以上に及ぶ沖様の後継者探しは、無事にご成約へと繋がっていきました。
*OTC:医師の処方箋がなくても購入できる市販薬
守りたかったのは「町の相談薬局」としての意義。事業を委ねた、理想の承継者とは
沖様が後継者探しを進めるにあたって、二人三脚でM&Aを進めてこられた青森銀行の澤田様。沖様に寄り添ってM&Aをサポートされた澤田様にも、ご成約に至った現在の心境について伺いました。
「地元・柳町において、おき薬局は『町の相談薬局』としての確固たるポジションを得ていました。地域の方にとっては、何か困ったことがあれば365日、たとえ真夜中であっても助けてくれるという心強い存在で、そんな薬局をこの町から無くすわけにはいかないというのが、私が本件に携わる中で常に抱いていた使命感でした。
そのため、鈴木様が他の候補者の方とは一線を画しておられ、価格面よりも、これまで沖様が築いて来られた実績や集客状況、地域での存在感といった事業価値にフォーカスして評価してくださったことは、非常に嬉しく思いました。
また、今回は売り手である沖様が期限を決められていたことや、譲渡条件がシンプルで明確だったことも、スムーズに成約できた理由だと考えています。」
これまで、お客様第一でお店の運営を続けてきた沖様。大切なお店とお客様をマリーングループに任せ、引退後は全国を回りながら繋がりあるドクターを訪ねたいと話します。
「前から日本一周をしたいと思っていたので、のんびりしながらも、所縁のある場所を巡っていきたいと思っています。特に北陸三県は、昔から付き合いのあるドクターもいるので、近況報告がてら尋ねてみようと考えています。」
沖様とおき薬局の今後の更なるご活躍を、バトンズ一同、心より応援いたしております!
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