近頃、大企業の残業代未払いが発覚し、多額の支払いを行なったというニュースがありましたが、残業代の未払いは、M&Aを行う際の重大な障害にもなりかねません。買主側によって、「簿外債務」や「隠れ債務」とみなされ、譲渡額の大幅な減額につながる可能性があるからです。
最悪の場合、交渉中断(M&Aの実行不能状態)を招いてしまうこともあるため、従業員の残業代を正しく支給していることは、事業承継においても重要な事項です。
財務諸表に現れない簿外債務と偶発債務
事業承継M&Aには株式譲渡と事業譲渡がありますが、株式譲渡方式を採用すると、買主は法律的にも未払い残業代を負担することになります。これは買主が対象会社の法人格を承継するからです。
法人格を承継した買主は、通常の債務だけでなく、簿外債務や偶発債務も引き受けなければなりません。簿外債務とは、貸借対照表に計上されていない債務のこと。偶発債務とは、まだ債務にはなっていないものの、債務になる可能性が高い状態の取引のことです。
従業員たちが未払い残業代を請求していない段階では現実の債務になっていないため、未払い残業代は偶発債務に該当します。
一方、事業譲渡方式を採用する場合は、事業譲渡契約書に「債務を承継しない」と明記すれば、買主は“法律上は”未払い残業代を含む一連の債務を承継しないで済みます。
また、会社分割方式でも、会社分割契約書において「従業員の残業代などの未払い賃金は承継しない」とすることは可能です。
しかし、実際はそうした契約のもとで、円満な事業承継を遂行することは無理でしょう。そして、たとえ法律上は支払いの義務がないとしても、会社を引き継ぐ買主は、必然的に支払いを余儀なくされてしまうはずです。
新オーナーの最優先事項は、既存社員との信頼構築
従業員がいる会社をM&Aする場合、ほぼ確実に、買主はM&A後に従業員をそのまま雇用し続けることになります。場合によっては、人材を確保する為に、対象会社をM&Aで引き受ける、というケースもあります。
そうなると「新オーナー」はまず、何を差し置いてでも社員たちの信頼を得る必要があります。「債務は承継していないから支払わない」と無下に断ってしまうと、M&A後に労働組合や社員の代表から、前の経営者が支払わなかった残業代の支払いを請求されてしまい兼ねません。こうしたリスクに目を背けていては、これから一緒に働く社員たちと信頼関係を築くことは不可能でしょう。
M&Aでは、社員たちは少なからず動揺してしまうため、不安を取り除くために丁寧な対応が求められます。もし新オーナーらの新しい経営陣が未払い残業代を無視してしまったら、社員たちの心を掴むことはできず、多くは退職する道を選択していくと考えられます。
M&Aでは、売主(前の経営者)が従業員全員をいったん解雇して、買主(新しい経営者)が新規雇用するというケースもあります。このとき、買主は社員たちに会社に残ってもらうため、従業員たちに転籍同意書へサインしてもらいます。
しかし、従業員たちが転籍同意書にサインする条件として、未払い残業代の支払いを要求したら、買主は無視できないはずです。
もちろん法律的には、買主は「そのような約束はできない」と突っぱねることはできますが、実際にそのようなことをしたら、「新社長」に就任する前から従業員とぎくしゃくすることになり、不安を抱えての新たな船出になってしまうでしょう。
買主はこうした事態を避けるため、M&A時に経営者(売主)に残業代について丁寧に質問しておかなければいけません。もし偶発債務があると見なされる場合は、譲渡時の取引金額を減額することを売主に交渉することもあります。
結果、自社の売却を検討している経営者にとっては、残業代未払いは重大なリスクになり得ることをお分かり頂けると思います。
「残業代を支払っているつもり」は危険
中小企業の場合、経営者が「残業代という名目では支払っていないが、残業代に相当する手当てを十分支払っている」と認識していることがあります。
そのためM&Aに臨んでも、売主が「未払い残業代問題などない」と真剣に考えていることも。
例えば、「残業代はボーナス支給で補填してきた」といった主張は、労働関係法には通用しません。従業員たちに未払い残業代を請求されたら、支払わなければなりません。
またM&Aの実施が近いことが知れ渡ると、「経営者が変わるなら、退職する。退職する前に、未払い残業代を支払ってもらう」と考える従業員がいても不思議はありません。
こうしたトラブルは、売主・買主の双方にとって大きな懸念材料になります。
未払い残業代が原因でブレイクした事例
実際に、残業代の未払いが発覚しブレイク(M&Aの実行不能状態)になってしまったケースを紹介します。
<ケース1>M&Aを検討していたタクシー会社で、残業代未払いがデューデリジェンスの段階で発覚。買主が売主に大幅な譲渡額の減額を要請しました。売主はその減額を了承できず、結果的にブレイク。
<ケース2>ある印刷会社は未払いの期間を遡って追求され、7億円の未払い割増賃金が発覚。休日出勤の25%の割増賃金は見落とされがちで、なおかつ大きな金額になるので、中小企業のM&Aでは致命傷に。
<想定>デューデリジェンスでは、従業員のタイムカードや従業員への給与データなどをすべて調べます。
従業員から支払いの訴えがあれば、通常2年(判例では3年のケースもある)は遡ぼります。
例えば毎日2時間分の残業代を30人に支給していなかっただけで、2,880万円(=2時間×割増し賃金単価1,000円/時間×月の労働日数20日×12カ月×2年×30人)にもなります。
したがって、デューデリジェンスで発覚すると、譲渡額は大幅に減額されてしまうことになりブレイク、というわけです。
さらに、民法の改正により今後、消滅時効が5年に統一されることとなりました。今後は、遡って支払い対象となる期間は2年から5年になる可能性もあります。
社長自身が残業代の計算方法を知っておくべきでしょう
中小企業の場合、社長と従業員の「阿吽(あうん)の呼吸」で賃金が決まっていることは少なくありません。
また、総務部長や労務担当者を置いていない企業の場合、社内に残業代の計算方法を知っている者がいないこともあります。
自社の売却を検討している経営者は、基礎的な残業代の計算方法だけでも知っておきましょう。
ベースとなる計算式は次のとおりです。
・諸手当のなかには、家族手当や通勤手当、住宅手当、賞与などは入りません
・1カ月の所定労働時間:(月全体の日数-会社が定めている休日)×1日の労働時間
・割増率は以下のとおり
●割増率・時間外労働(法定労働時間を超えた分):25%割増
・時間外労働(1カ月60時間を超えた分):50%割増
・深夜労働(午後10時から午前5時):25%割増
・時間外労働(法定労働時間を超えた分)+深夜労働:50%割増
・時間外労働(1カ月60時間を超えた分)+深夜労働:75%割増
・休日労働+深夜労働:60%割増
まとめ~潜在リスクは必ず取り除いておきましょう
自社の事業承継を検討している経営者にとって、未払い残業代は「後回し」にしがちな問題です。それは気持ちのどこかに「基本給もボーナスもしっかり支払っている」という考えがあるからでしょう。
また従業員たちと良好な関係を築いてきたと自負している経営者の場合、未払い残業代が発生していることを知っていても「従業員は納得しているはずだ」と思っていることもあります。
しかしM&Aでは、そのような「機微」は通用しません。潜在リスクはすべて洗い出した上で、丁寧な交渉を行いましょう。
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