悠久の大地、北海道。「優佳良織(ゆうからおり)」は、そんな美しい北海道の自然を色彩豊かな織物で表現した染織工芸品です。多彩な色感を表現するために200~300もの色糸を使用し、高度な染織技法で色と色を重ね合わせます。そうして生み出された生地は一枚の油絵のように美しく、温かさを見る者に与えてくれます。
画像出典:「あさひかわ旅Navi」http://asahikawa.club/museum-of-literature-museum
世界的にも高い評価を受け、1978年にはハンガリー国際織物ビエンナーレの金賞を受賞。その他ヨーロッパ各地で展覧会に招かれるなど、国際的な美術工芸品として認められるようになりました。そんな優佳良織が、いま存続の危機にあるといいます。今回は優佳良織の誕生、発展と危機、そして伝統の復活に向けた動きをご紹介します。
「北海道に、工芸を育ててほしい」
優佳良織は、1962 年に北海道旭川市の染色作家・木内綾さんによって生み出されました。東京の高等学校を卒業して、地元旭川に戻った木内さん。しばらくは趣味として手織りを楽しんでいましたが、ある日、北海道立工業試験場から一つの相談が舞い込んできます。
「北海道には、伝統的な工芸品が育っていない。なんとか、織物工芸をつくり上げてほしい。」
木内さんは悩みました。本州のように伝統ある染織工芸などが各地に旧来的に存在している訳ではなく、北海道は本州各地から集まった入植者がそれぞれの地方文化を持ち寄って開拓されてきた土地です。そんな土地で新たに工芸品を生み出すにあたり、一体何をコンセプトに置くべきなのか。思い悩んだ結果、木内さんが辿り着いたのが「北海道を織る」というものでした。
北海道には、四季折々の美しい自然がある。その風景を織物で表現したい。そして、歴史の浅い北海道の伝統工芸に育てあげたい。そんな想いから「ユーカラ織」が誕生したのです。ユーカラとは、アイヌ民族の抒情詩を表しており「伝承する」という意味があります。
北海道発祥の伝統工芸を根付かせたいという想いが名前の由来から感じ取れます。一方で、この名称は時にアイヌ民族の伝統工芸品と誤解されることも。それはアイヌの方々に申し訳ないとの想いから、親交のあった版画家・棟方志功さんの命名で、現在の「優佳良織」にその名を改めました。
優佳良織は、北海道で豊富にとれる綿羊の毛で織られています。その羊毛の染色から、つむぎ、機織りま での3工程すべてを手作業で実施。長い時間と高い技術に支えられ、色感の豊かさが表現されています。この技術があってこそ、四季折々で少しずつ変化する自然の色合いを、織物として描き出すことができているのです。
その美しさは、やがて人々の目を惹くようになります。木内さんは、ヨーロッパを中心としたさまざまな 展覧会に招かれるようになり、国内外で数々の賞を受賞。1980年には優佳良織を所蔵・展示する場とし て「優佳良織工芸館」を開館しました。北海道の天然木と埋れ木で構成され、レンガも北海道の土で焼成するなどのこだわりを持って建設されたこの工芸館は、ピーク時には年間100万人以上が訪れるほどで、当時の北海道の観光名所でした。
また、木内さん自身も旭川への貢献活動などが評価され、1987年北海道文化賞、1995年文化庁長官賞などを受賞するまでに。文字通り、優佳良織は北海道の文化として認められたのです。
存続危機に… 文化への成長と、時代の壁
しかし、時代が進むにつれ、優佳良織は大きな転機を迎えることになります。優佳良織工芸館は人気の観光施設として親しまれていましたが、長引く不況に加え、高速道路の完成で 観光バスのルートが工芸館を通らなくなってしまったのです。目新しさを求めてきた観光客が優佳良織を求めて工芸館を訪れることもなくなり、来館者は減少の一途を辿ります。
さらに転機となったのが2006年、優佳良織の創業者である木内さんが亡くなったことで、事業承継問題につきあたります。木内さんの死後、優佳良織工芸館などを含む「北海道伝統美術工芸村」の経営は長男の和博さんが継がれましたが、2016年11月、和博さんも死去されてしまいます。親族内承継での経営の見込みが立たなくなり、翌月には北海道伝統美術工芸村は破産申請を行いました。これにより、優佳良織工芸館は長期休業を余儀なくされ、社員や織り子(職人)は、優佳良織に携わる者としての仕事を失ったのです。まさに、文化自体が存続の危機に陥ってしまったのでした。
最大の債権者である旭川市は施設存続に向けた検討を行っていますが、再開の目途はまだ立っていません。人員や資金確保などの課題は山積していますが、さらに北海道という土地においては、休館中の施設を雪や寒さから守るための対策も必要になってきます。そうした対応に手間隙をかけることは、北国の行政にとって致命傷になりかねないのです。しかし、ここで完全に希望が閉ざされたわけではありませんでした。
優佳良織を愛した市民の声が復活の後押しに
市民有志でつくる「優佳良織の存続を願う市民の会」が2017年7月に結成されたのです。結成は優佳良織工芸館の休業から、わずか半年のことでした。早期復活のため、ベテランの織り子の方々が自ら動き始めたのです。市民の会は、優佳良織工芸館の存続を求める署名活動を実施。短期間で、当初目標としていた5万人を大きく超える 8 万 3 千人以上もの署名を集め、市に提出しました。署名は旭川周辺からだけでなく、存続を願う全国の方々から集まったといいます。
そして昨年、元織り子の方が旭川市内に優佳良織工房を設立しました。文化を守りたいという想いで機織り機や原材料を買い取り、また、織り子経験者に声をかけて2名の人員を確保。約30種類の小物を、月数百個生産しています。
復活に向けた歩みは、決して簡単なものではありません。特に優佳良織は手作業の高い技術が必要とされ、各作業工程における技術者の確保と養成が、伝統継承において最大の課題となります。伝統産業の多い京都の場合、技術継承と障害のある方の就労支援・雇用創出を図る「伝福連携」もスタートし、街全体で事業の存続と雇用創出への取り組みが行われています。このような行政と連携した新たな働き手の発掘は、今後の優佳良織の継続と発展のためのヒントになるかもしれません。大自然を織る、北国の希少な伝統工芸の承継は、まだ、はじまったばかりです。
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