レポート

2019.01.17

萩焼を次世代に引き継ぐために、いま窯元に求められる経営者の視点

高校を卒業後に地元を離れ、大学のある都会に出て行きそのまま就職し留まるという話はよくあることです。現に東京はオリンピックの開催も追い風となって、経済、流行の中心地として目まぐるしく発展を続けています。

一方で、大都市に益々人が集まり繁栄していくのとは反対に、若者が出て行ってしまって過疎化が進む田舎の街は少なくないでしょう。山口県萩市も、地域合併や高齢化によって過疎化が進んでいる場所です。

近年は街おこしを謳い、Uターンを歓迎する体制ですが、そうは言っても実際は農業、漁業、伝統工芸などの分野は人手が足りず、斜陽産業となってしまっているのが現状です。

そうした産業のひとつに萩焼があります。

萩焼は、山口県萩市で生まれ、栄えてきた伝統工芸品。今から約400年前に、萩藩主であった毛利輝元が、朝鮮から渡来した李勺光(りしゃくこう)と李敬(りけい)によって、毛利家の御用窯として開かせたのが萩焼のはじまりと言われています。また、昔から茶の湯の世界では「一楽二萩三唐津」と謳われているように、萩焼の抹茶茶碗は大変重宝されてきました。

庶民のあいだで使われはじめてからは、製作工程や手法も改善がなされ、石膏を使って量産することも可能になりました。

湯呑や茶碗などの昔からの品々に加え、近年では普段使いに丁度よいお皿やカップ、花瓶に茶高楼など、実に多くのアイテムが揃っていて、今なお人々に広く愛されている焼き物です。

新幹線の開通とメディアの影響力で、萩焼の知名度が全国区に

ひと昔前は、萩焼を購入する人が近年に比べてだいぶ多かったと言えます。また、贈答品として購入する機会も多くありました。萩市が「小京都」として有名観光地の仲間入りをし、1975年に山陽新幹線が開通すると、当時の観光客数はピーク時で年間225万人に上っていました。1980年には萩市を舞台としたNHKの連続テレビ小説「虹を織る」が放映され、観光客増加に滑車がかかります。

また、歴史に残る偉人を輩出した土地としてメディアで紹介されたことで、幕末に活躍した志士の誕生地や旧宅地を自転車で巡るスタイルが確立されました。町中を自転車で駆け巡る多くの修学旅行生の姿は、萩在住者にとっては日常の光景だったのです。

当時まだホテルや旅館の数が限られており、宿泊先がない観光客が民家に泊めてもらうということも。そこで萩市は多数の観光客に対応できるように宿泊施設を増やし、同時期に窯元も増えていったのです。当時、観光客が萩のお土産として萩焼を購入していくのがトレンドとなり、結婚するカップルに贈るギフトや、結婚式の引き出物としても人気が出ました。

その後、徐々に萩焼が衰退

しかしながら、格安航空券や激安ツアーがブームとなり気軽に海外に行ける風潮になると、萩の観光客数は徐々に減っていきます。また、新しく改定された歴史の教科書では、幕末~明治維新に関する出来事が以前の教科書の内容よりも取り上げられなくなったため、歴史の街、萩が、観光客に選ばれにくくなり、自転車で史跡を巡る姿も少なくなってしまったのです。それに伴い、観光客に萩焼を購入してもらうチャンスも減っていきました。

近年の結婚式の引き出物も、カタログギフトが主流となり、萩焼を選ぶことはめっぽう減りました。さらに、代用品が普及し、同じ様なお皿が100円ショップや雑貨屋さんでも買えるようにもなったので、わざわざ高い値段のものを選択することも以前に比べて少なくなったのです。

萩焼産業に不景気がやってきたのは、言うまでもありません。待っていても観光客は来ないため、萩焼を売るために他のやり方を探さなければならない時期でした。

萩に人が来ないのであれば、人が集まる場所にいく

従来通り萩で観光客を待つだけでは萩焼が売れなくなった時代に、萩焼の窯元の方たちが取り組んだのが、焼き物市などのイベントへの出店です。

萩では毎年、春と秋の年に2度、萩焼祭りが開催されています。萩の窯元が自身の作品を持ち寄り、広い体育館などに一堂に集結します。萩焼を購入されたい方は街中の窯元を1つ1つ訪ねる手間が省けお勧めです。

萩焼祭りの概要についてはこちら

もちろん萩以外にも、仙台や東京、熊本、石川など、全国で開催される陶磁器市に作品を持って出張します。自ら出店することで、全国に萩焼を広め、お客様から直接フィードバックを受け取ることが可能になりました。さらに、一度来てくれたお客様には、商品のアフターケアーサービスやDMを送るなど、宣伝しリピーターを増やすといった営業活動も、積極的に行うようになったといいます。

さらに、インターネット通販も萩焼を販売する上で非常に有力なツールです。インターネットを活用することで、販売に遠征しなくても商品が売ることができ、販売の初期投資を抑えられる、さらに店舗維持費が省けるというメリットがあります。

しかし、窯元の方には製造、販売に加え会社経営まですべて1人でやりくりしている方も多く、それに加えてインターネット販売に関わる作業が増えるとなると、一人では到底行えるものではありません。

窯元は職人であり経営者でもある

今後は、顧客を確保するという課題の他にも、窯元を守っていくための後継者問題も浮上してきます。萩焼の技術を後世代に受け継ぐにあたり、過疎化が進み圧倒的な職人不足の萩市で、若手の人材を確保していかなければなりません。

そのためには、職人を育成する機関の充実と、行政からの支援、それに窯元の雇用形態の見直し、労働環境の整備が必要とされています。窯での作業場にエアコンが設置されていないと、夏は暑く、冬は寒い、といった厳しい労働環境を強いられているところも少なくありません。

また、窯元を継ぐということは、製造技法を学ぶだけでなく、経営者として販売や会計に関することも引き継がなければなりません。会社経営方法、リクルーティング、販売戦略、マーケティング、そしてインターネット販売や経理まで、工場以外での仕事のマネジメントが重要になります。

萩焼が代々受け継がれている家系も実際にはありますが、全体の窯の数に比べてそれらはごく一部です。今後は多くの課題を解決していかなければならない萩焼ですが、次世代に受け継ぐ窯が1つでも多く残ることを祈ります。

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